LOGINヘルクラインが剣を投げだして床にへたり込んでいる。茫然とした顔は、どこも見ていない。
「随分と気力を使い果たした様子だが。実の弟を殺す気概、嫌いではないぞ、光の剣士」
魔王はヘルクラインを見下ろした。
ヘルクラインが、力弱く首を振った。
「お陰でシャムルは魔王と命を分け合う存在となった。この意味が、わかるか?」
ヘルクラインが、焦点の合わない目のまま、首を傾げた。
「お前の弟は、永遠に闇に生きる存在となった。お前の剣が、シャムルを魔族にした」
ヘルクラインの顔が歪む。頭を抱えて奇声を上げた。
「ちがうぅう! 私じゃない。私が殺したんじゃない。シャムルが自分から私の剣に突っ込んで……お前が! 魔王が私にシャムルを殺させたのだ!」
顔を引き攣らせてヘルクラインが怒鳴った。魔王は鼻で笑った。
「いいや、お前が殺した。お前の剣がシャムルの心臓を突き刺した。弟たちに引導を渡すのだろう? 首を掻っ切ってやったらどう
予想通り、日を置かずにハネシアがやってきた。隣に立つアレイラが恐縮している。「やぁ、ヴェル。側近の子も元気そうだね」 今日のハネシアは上機嫌だ。「うちの小天使が魔国に来ているみたいだから、引き取りに来たんだよ。迷惑かけて悪いと思ってね」 魔王は、げんなりした。この速さで魔国に来るということは、シリウスを監視していた、ということだ。 シリウスの恋心も行動も知った上で放置したのだろう。表情から察するに、シリウスの行動はハネシアの期待通りだったんだろう。「まさか……間違って魔印を付けて、堕天させたり、していないよね?」 ダメ押しのような決定的な台詞を、ハネシアが吐いた。「攻撃されたから迎撃した。希望したから魔印を施した。結果、堕天使になったよ」 ここは潔く、事実を述べるのが良い。ハネシアが目を細めて笑んだ。「神様付きの小天使を堕天使にするのは、常闇の守護神でもマズいんじゃない?」 ピクリ、と魔王の指が跳ねた。その呼び名はどうも好かない。「けど、シリウスの行動が行き過ぎていたのも事実だからね。僕も穏便に済ませたいと思っているんだ。お互い、熾天使や智天使に知られるのは、避けたいでしょ?」 熾天使や智天使は天上の審判を請け負う天使だ。裁きの対象になるのは、避けたいが。「そうだね。ハネシアは、どうしたいの?」 ハネシアの要求は見えている。腹の探り合いは面倒だ。「シリウスを返してもらうのが良いんだろうけど……」 ハネシアが勿体付けてきた。わかりきったことを聞くものだ。「シリウスは穢れが強すぎて、天使に戻せる状態じゃないよ。魔国で譲り受ける」 魔王の言葉に、アレイラが無言で深々と頭を下げた。今回はハネシアに黙っていろとでも言われたのだろう。事の発端がアレイラのお門違いな気遣いだから、強くも出られないのだろう。「そっかぁ。不可逆な堕天をしちゃったんだ。バレたらヴェルも、それなりにお咎めがあるね」 悪戯に堕天使を作ったのなら神の地位を剥奪くらいはある
ベッドの上にシャムルを寝かせる。その上から覆い被さるようにして、魔王はシャムルを見下ろした。「魔王様……」「名を呼んでみよ」 シャムルの目が戸惑った。魔王が真名を好まないのを知っているからだ。「我が名は、ヴェルヴァラントだ」「……ヴェルヴァラント様」 シャムルの額に口付けて、神力を流し込んだ。普段は秘めている、闇の神力だ。シャムルを天使化させないために使ったあれすらが、数百年振りだった。(氷の瞳に、我を映しておくために) 見下ろすシャムルの目元を、そっと撫でた。「今のままでは、シャムルの肉体は崩れる」 シャムルの顔が、ビクンと強張った。自分でも気が付いていたのだろう。衝撃より覚悟の顔付だ。「また無理にハネシアに神力を流されれば、今度こそ危うい」 見上げていたシャムルの目が、伏した。「私は、どうすれば……ヴェルヴァラント様のお役に立って、御側にいられますか?」 シャムルが意志の籠った強い目を上げた。(最初からずっと、シャムルは同じ目をしていた) 前髪を指で払い、瞼をなぞる。「ヴェル、でいい」 撫でた瞼に口付けて神力を流し込んだ。(自分の身が危ういと言われても、我の役に立とうとする。心臓を捨ててまで、選ばれようとする) シャムルの行動は一貫している。同じ場面になれば、迷わず同じ行動をとる。(それでは、シャムルが壊れる) 想像するだけで、魔王の胸が痛く冷える。 反対側の瞼を撫でて、同じように口付け、神力を流す。シャムルの顔が火照ってきた。「我の神力は、熱いか?」「温かくて、心地良いです」 うっとり目を細めてシャムルが魔王の手を握った。いつもは冷たい指先が今は温かい。「ならば相性は、悪くない」 シャムルの手を握り返す。指を伝う熱が、魔王の心を温めた。同じ温度になった手を血の結晶に重ねた。
眠るシャムルを、魔王は眺めていた。 ハネシアとの対決以来、シャムルの命は余計に不安定になった。だから、同じベッドで眠るようにしている。(大量の神力を浴びせ過ぎたか。核だけではもう、支えきれんか) 胸の真ん中で黒く光る血の結晶に指を滑らす。今は血の結晶に籠めた魔力で維持できているが。限界を超えれば体が崩壊する。(また、あんなことがあったら……) ぞくりと寒気が走った。魔王はシャムルの体を抱き寄せた。「ん……魔王、様……?」 寝ぼけたシャムルの顔を胸に抱いた。「まだ眠っていろ」「しかし、魔王様が起きていらっしゃるのに」「いいから、寝ていろ」 確かな熱を帯びる体が、もぞりと動く。控えめな手が、魔王の背中に触れた。「では、こうして眠っても、良いですか?」「……構わない」 シャムルの手が触れただけで、胸が揺れる。手放したくなくて、もっと抱き寄せたくなる。これ以上は体の輪郭が邪魔をして、繋がり様もないのに。もどかしさを押し殺して、魔王はシャムルを抱いて眠った。 そんな夜が続いた、ある日。予想外の事件は起きた。「これは、困ったね。どうしようかな」 魔王にしては珍しく、本気の困惑だ。目の前で二人の青年が膝をついている。例の如く、魔王討伐にやってきたパーティを返り討ちにして魔印を付けた、までは良かったが。「ここは、どこだっけ……俺、何しているんだろう」 魔印を付けた途端に、勇者の顔つきが変わった。憑き物が取れたように、記憶まで消えたようだった。魔王は青年に手を伸ばした。触れない距離で、気配を探る。「この勇者の子、アレイラの神力の残滓を感じるね」 シャムルが顔を強張らせた。魔王はもう一人の戦士に視線を向けた。勇者とは裏腹に、戦士はしっかりと意思のある目で、魔王を見詰めていた。「魔印を頂いたので、私は魔王様の奴隷です。しっかり働きますので、私にトビーをください」 戦士が勇者に
ハネシアが声を震わせる。足が怯えるように後ろに下がった。 シャムルの体が闇の力に染まる。金色を食い潰した闇がシャムルの体を覆い尽くした。体の内側まで埋め尽くして尚、溢れる闇の神力が、足下に漂う。黒い光が魔王をシャムルを足元から冷たく照らした。「ま、おう……さま……」 シャムルの目が振戦を止めた。確かに意志を戻した瞳が、魔王を見上げる。 求める視線に応えるように、シャムルの目尻に残った涙を拭った。「もう、大丈夫だ」 命を灯す血の結晶を撫でる。背中の拍動が、止まっていた。 震えが止まったシャムルの体を抱き直した。「……私は、命尽きるまで、魔王様の、側近です……」 言い終えぬうちにシャムルが目を瞑った。脱力した体が、魔王の胸に凭れ掛かる。意識を失ったようだ。(体は温かい。命はある。奪われていない) 心の中で唱えてシャムルの髪に口付けた。「うそ……だろ。自分の肩書、好きじゃないくせに。こんなことで神力を使うとか……」 ハネシアが引いている。顔が引き攣っているから、怯えているんだろうか。それも、どうでもいい。 魔王はただ、ハネシアを睨み据えた。「真名を呼んだのはお前だろう。我は常闇を統べる守護神ヴェルヴァラント。魔を司る総てを調停する魔神。我が領域を荒らす者は、神界だろうと人間だろうと容赦はしない」 魔王はシャムルの胸の結晶に、手を添えた。足下に漂う闇の神力が、静かに蠢く。 ハネシアが震え上がった。「まさか、だって。ヴェルが人間如きに、こんなに本気になるなんて、思わなかったんだよ」 小さく一歩ずつ後ろに下がる。 そのハネシアの肩を止める者があった。「さすがに今回は、悪戯が過ぎた、という言葉では済ませられませんよ、ハネシア様」 ハネシアの後ろに、大きな天使が立っている。側近の大天使アレイラだ。アレイラが魔王の前で傅いた。「我が主ハネシアの非礼の総てをお詫びいたします。神界は魔国と事を構えるつも
「じゃ、大人しく差し出して」「断る」 魔王の即答に、ハネシアの顔が不機嫌に染まった。 これ以上の押し問答は時間の無駄だ。魔王は、シャムルの腕を引いた。「え? 魔王様……っ!」 自分の膝の上に、シャムルを座らせた。「欲しければ神力を使って、我から奪え」 ハネシアの肩が、ピクリと震えた。「勝負しろって、言いたいの?」「天使と悪魔、どちらの属性が合うか、シャムルの体に聞けばいい」 シャムルの体を抱え、血の結晶をひと撫でする。「んっ……」 シャムルが悩ましい声を飲み込んだ。その姿を眺めるハネシアが、息を飲んだ。「そこまでして護りたいんだ。へぇ、そう……」 ハネシアが悔しそうに呟く。顔を上げて、ニコリと笑んだ。「いいよ、勝負しようか。僕が勝ったらヴェルの目の前で天使にして連れ帰るからね」「好きにしろ」 ハネシアが、玉座への階段を上った。シャムルを抱いた魔王の前に立つ。シャムルの顎を掴み上げると、顔を間近で覗き込んだ。「可愛い顔してるねぇ。天使にしたら人気が出そう。偶像になれるかも、神界では大事な要素だよ」 魔王はシャムルの腰を後ろに引いて、抱き寄せた。ハネシアの指が、離れた。「我は背中から魔力を流し込む」 シャムルの腰を抱いて、背中に口付ける。シャムルの背筋が、ビクンと伸びた。「なら僕は、額から……いや。口からにしようかな」 殺気より強く顎を引き寄せて、シャムルの口を開かせる。ハネシアが、シャムルの舌を指で押さえた。金色を灯す神力が、口を伝って流れ込む。「ぉっ……」 シャムルの体が拒絶するように、ビクビクと跳ねた。「おいっ」 魔王はハネシアを睨みつけた。口から直に流し込まれたら、追いつかない。
玉座の間に入ると、既に来客の姿があった。白くてやけにキラキラした青年が、広間の風景を楽しそうに見守っていた。「だから、いや! 嫌だってば!」「待ってくれ、ヘル。もう抱き付いたりしないから!」 スカラが執拗にヘルを追い回す。ヘルが本気で嫌そうに逃げている。「またやってるね」「えぇ、飽きもせず」 魔王の感想にシャムルが苦々しく返した。 スカラは襲撃の際、割とあっさり魔族堕ちした。理由は「ヘルクラインを愛しているから」だそうだ。悪魔になったヘルが理想以上に可愛かったから、魔族になると決めたらしい。欲望に忠実なところは悪くないと、魔王は思う。(だけど、ヘルの拒否反応が酷い) 魔王がちょっと可哀想だなと思う程度には、ヘルはスカラを毛嫌いしている。「王国騎士団にいた頃からスカラはヘルに片想いしていたので、近くにいられて嬉しいんでしょうね」 ガイルが二人を温かく見守りながら教えてくれた。天と地ほどの二人の温度差を見守れるガイルは、ある意味で強いと思う。「あの頃からヘルはスカラを避けていましたが、記憶を捨てた今も感覚的に嫌悪が残っているのでしょうね」 シャムルの説明が刺々しい。「スカラって、そう悪い子にも感じないけど。何が嫌なのかな」 普通にしていれば爽やかな好青年だ。純粋にヘルを好いているように見える。「純粋に尻を狙ってくるのですよ。スカラの好きは主に体です」「あぁ……」 大変、動物らしい感性だ。生物としては間違っていない。「あ~! スカラ、だめ! ヘルを虐めないで!」 フィオナが二人の間に割って入った。ヘルを背中に庇ってスカラを突き飛ばした。「違うんだ、フィオナ。俺は気持ちを伝えただけで」「ひぃん、ひぐ……フィオナぁ」 ヘルがフィオナの背中に縋って泣いている。羽がある二人が並ぶと、とても可愛い。(癒されるね。ヘルは泣いてるけど)